皆さんごきげんよう。花粉症で苦しんでいる方も多い時期なのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。永岡です。
約二年間続けてきたマナビスでのお仕事も今回でラストとなりました。blogを執筆するのもラストチャンスでありますが、今回のテーマは大きく「学習」としたいと思います。
皆さんに心に留めておいていただきたいのは、
「日々の生活のなかで知識は体得される」ということです。私的な例を挙げましょう。私は、花粉症の時期に無意識にブルーベリーが食べたくなります。始めは気まぐれに起因する生理的症状だと思いましたが、念のため調べてみると実際に花粉症にはブルーベリーが効くということが判明しました。つまり、この症状は既知のデータ(ツール)に依存しない、動物的本能に基づくものであったということです。
現代社会に生きる人間にとって、携帯やPCを始めとするデジタル機器を使用することの効果は多大で、その利用を停止することが非現実的であることは大前提であるのでしょう。ところが、携帯等がなければ生活できない、生きていけないということもまた非現実的なことわりであると思います。先に関与する例を示したように、人間は進化のなかで環境に身体の機能を順応させていったり、日々の生活のなかで食料を選別したりといったあらゆる行為のなかで無自覚に「学習」をしています。そしてその学習を積み重ねることで、(一種のトラウマティック性を帯びていますが)「この食物は私には不適(アレルゲン)である。」「この食べ合わせではまた食あたりしてしまう。」といった原因・結果のカタログのようなものが脳内に仕上がっていくのでなはないかと思います。そしてそのカタログに基づき、次なる行為の決定、取捨選択がなされていくのです。この一連の「学習」は小・中・高・大の短期間のみならず人生の全域で行われるのだと感じています。
その人生全域における「学習」のなかで、現在即ち高校時代フォーカスをあてると当然ながら時間は限定されるため、「学習」への効率性が重視されます。その点において、疑問点をGoogle先生に即座に尋ねることも有意味かもしれません。ただ、「効率性⁼デジタル機器への全幅の信用」という式をたてることは少々勿体ないような気が致します。(無論、デジタル機器を使うこと勿れと提言しているのではありません。)上記したように、人間は毎日の何らかの「学習」する力を有しています。それは、食べる・見る・感じるといった偶然の行為をプロセスとして興味を持ち主体的に学習する機会を持ち得てきたということです。つまり、一人一人が授業を見て感じることで、自分ならではの各科目への関心所が歴然となれば、それを契機として調べたり類題へ深掘りしたりなど「学習」を拡げることができるのです。そしてこれまで習得してきた授業内容と、自らが生活のなかで培った学びの発見が回路で紡がれた時、きっと少なからず学問の深みを実感することができるはずです。
話が抽象的になってしまいましたが、新学期を迎える節目となる今、これから勉強を本格的に進めていく皆さんに、いかなる勉強方法であっても、「『タネ』となり活用し得るということ(※)」、「この種はいつかまた新しい花を咲かせること(※)」(※…過去ブログ「超難問(2018年11月21日。憧れの先輩AAの冨田さんと共同作成。)」を参照。)ができ、「学習」経験を積み続ける、慣習化することには必ず意義があるということを胸に置いていてほしいです。
最後のblogということで長文になりすみません(笑)。今まで出会ってきた生徒さんの頑張る姿・笑顔があったことで今日までつとめることができました。本当に皆さんに感謝しております。これから皆さんがそれぞれの目標に向かって”一意専心”し、日々の「学習」を肥料として、ゴールで大輪の花を咲かせていることを切にお祈りしながら、”正しく 清く しとやかに”生きていきたいと存じております。
今こそ別れめ いざさらば。