こんにちは。AAの永岡です。最近蒸し暑い日が続いていますが、皆さん熱中症や五月病(笑)にはなっていませんか?
私は別の意味で熱中症にかかりつつあります。今大学で習っている、古典のくずし字を読むということです(笑)。はじめはあまりの難解さに、「くずし字って何のためにやるの?」と思ったこともありました。しかし今ではこうも思います。「(当時の人からすれば)逆に何で今は字をくずさないの?」あたりまえの基準が昔と今では違うんですよね。(古典様式、文化⇔現代様式、文化)それってなにもくずし字に限ったことじゃなくて、世の中の情報にも受験にも言えることなのではないでしょうか。
模試の出来た出来ないというような、知人から聞こえてくるあたりまえな(お誂え向きな)文句。表記されている1つのあたりまえな解答。なのにいずれも捉えようによってはメンタルをやられたり理解に苦しむことがある。これはどうしてなのか。これこそ序盤に挙げた「あたりまえの基準が違う」ということなのではないでしょうか。つまり、一般的にあたりまえと思われることをただ鵜呑みにするだけではポジティブな効果は十分に得られないのではないでしょうか。具体的に、【模試の出来→各々の目標点から見た出来?、表記されている解答→それらを自分にとって分かりやすい用語で置き換えると?】、というように「あたりまえな事象を相対化する、又は咀嚼する」ことによって、メンタルを癒しつつ新たな発見をすることができるのではないでしょうか。
話が抽象的になってしまいごめんなさい。単刀直入にまとめるなら「壁にぶつかったら、壊すというよりも(時間をかけて)溶かせ」というようなかんじになりそうです。
くずし字のようにまわりくどい文章になってしまいましたが、少しでもニュアンスが皆さんに伝わったら嬉しいです。
では、また。